無縁仏

お墓というものは、いろいろな役割がありますが、

墓じまいをしていて最近特に思うのは、

人間が生きた証を後世に残すという役割が

大きいのではないかということですが、

人間には「自分のことをいつまでも覚えていて欲しい」、

「忘れないでいて欲しい」という究極の欲望があり、

それは仏教的に見ると、単なるエゴであり、煩悩に過ぎないのです。

人はいつかは必ず忘れられる、というのが宇宙の原理であり、

例外は無いのです。

縁のある人がいなくなった墓石は、いつまでも残り続け、

誰も手を合わせる人がいなくなりますが、

このように集められてしまえば、栄えた者達の城跡という雰囲気が漂います。

これは高野山奥の院にある無縁塚で、

無縁になった無数の供養塔が集められています。