墓じまい-供養

ちょっと悔しい話ですが、半年ほど前に私が運営しているサイトに

スパムリンク攻撃と言って、激しい攻撃を受けて完全撃沈していたサイトを

復活させるため、という目的もあり、一所懸命にあちこちで記事を書いておりますので、

よろしくお付き合いください。ある日のことですが、私が運営している複数のサイトに

変なリンクが大量に貼ってあるのに気が付きました。

それを見に行くと、サイト全部コピーされて、一見やすらか庵のサイトですが、

所々に家具やテーブルの通販が埋め込まれており、「なんじゃこりゃ!!」

という悲惨な変貌ぶり、そのページ数も8万は超えていました…

中央アフリカの無料ドメイン〇〇.cfからですが、

その全部のページからリンクが貼ってあるのですから、

私のサイト自体は全く改変されていませんでしたが、

明らかに大量スパムリンクの影響を受けて撃沈したのだろうと思います、

検索しても全く出てこなくなってしまいまして…

バックリンクの否認を行い、そのついでにサイト内の全ての見直しを施し、

今やっと少し出てくるようになったのです。

やれやれ、ひどい目にあった。しかし

誰がなんのために!と怒っている暇があったら前向きに進んだ方がましです。

さて、本題ですが、開眼供養とは位牌やお墓を使い始める時に魂を入れることです。

私は最近墓じまいばかりやっていて、閉眼供養ばかりしていますが、

そのお墓のことについて。

そもそも我が国には古来より自然の中に神々が宿るという信仰があり、

山川草木悉皆成仏という言葉ご存知ですか、

山にも川にも草や木にも仏の心が宿るといことで、

大自然そのものの、あらゆる所に神仏が潜んでいるということです。

特に木や石は神が宿りやすく、木に宿ればご神木、石に宿れば磐座(いわくら)

と言いまして、ご神体ともなるのです。

また、神仏が降りてきて取りつく場所を「依り代」と言いまして、

お墓の石もしかり、神仏や先祖が降りてくる依り代になるのです。

何もしない石は依り代になりません、そこで先祖が降りて来る依り代になるよう、

僧侶が拝んで開眼供養をするのです。

しかし、これは本来の僧侶の仕事ではありません、

祭りごとを司る長老や神主の行うことなのです。

仏教では石に霊が取りつくなんていう教えはありません。

しかし仏教は土着の信仰を吸収し、融合しながら定着しましたので、

我が国では今でも続いているのです。

土着の信仰を無視して、純粋な仏教の教えだけでは、滅びていたと思います。

お坊さんは、釈迦の教えを説きつつ、頼まれれば何でもする「何でも屋」

かもしれません。しかし、このことを理解してやっているかどうかは、疑問ですね。