高野山の奥の院には樹齢が700年を超えるような杉の大木が林立しています。
特に大きな樹の根元には、このようにして無縁になった供養塔が集められ、
年月が経った供養塔には緑の苔がびっしりと貼り付いていて、
いかにも、お墓のお墓という状況を呈しています。
苔むした石は、水分を多く含むようになり、
中に浸透した水は少しずつ石を風化させるとともに、
小さなヒビを押し広げて割っていき、
ゆっくりと時間をかけて割っては分解することを繰り返します。
その意思を覆いかぶさるように木の根が成長し、
その様子は、まさに樹に食べられている石のようです。
高野山のように供養塔が何十万基もあるような所では、
ある意味、これが自然の摂理に思えてくるものです。
無縁になった供養塔を大きな樹の根元に持って来ることも
ある意味墓じまいと言えると思います。
無縁になった供養塔は、石屋さんを呼ばなくても手で運べます、
簡単に出来る墓じまいは、大自然と共に共存していく術かもしれません。