離檀料とは

離檀料のイラスト

離檀料とは、転居や改宗、墓じまいなどの理由で寺院の檀家を離れる時に支払う御礼金としてのお布施のことで、高額な金額を請求されることが多く、離檀料に対する明確な規定が無いために寺院とのトラブルの原因となっています。

檀那寺と檀家

寺院で相談

江戸時代が1612年にキリスト教禁止令を出して全国民が仏教徒になり、必ず寺院に属するようにしたのが檀那寺で、その信徒を檀家と言い、檀家寺は檀家の先祖供養や葬儀などの宗教儀礼を行い、檀家は檀那寺を支えるために金銭的な支援をする関係になりました。

仏教は本来在家の信者が寺院や僧侶に布施を施して支えることで徳を積むという事が基本で、その布施のことをダーナと言うのは檀那寺の檀那の語源なのです。

現在の檀家制度はこの江戸時代の檀家制度を引き継いでいるのですが、元々看取りや死者の供養、病気平癒や五穀豊穣の祈願など寺院が国や地域に対して果たす役割は大きく、ある意味民間信仰と国家政策が結びついて定着した制度でもあります。

現代の檀家制度

現代では信仰の自由が保障されていますので、どの宗教を信じても構いませんし、現在の宗教から他の宗教に替わっても構わないのですが、寺院の檀家の場合にはお墓が寺院の敷地の中にあって法事や葬式などの宗教行事が結び付けられていたり、檀家の組織の中に組み入れられているとから、他の宗教に替わったり、辞めたりという事が簡単には出来ないのです。

そして寺院の中にあるお墓は檀那寺の了承なしには改葬したり墓じまいすることが出来ないために、檀那寺にお墓の権利を握られているようなものです。

檀家を離れたい人が増えている

檀家は檀那寺を支えるスポンサーみたいなものであり、仏教国のタイでは毎日僧侶が托鉢のために街の中を鉢を持って祈りながら歩き回りますが、信者の人達は僧に祈ってもらっているからこそ幸せになれるし、僧に施せば徳が積めるという篤い信仰を持っていること、そして僧侶も民の幸せを願う祈りをしていることなどでお互いの関係が成り立っているのです。

ところが我が国の檀家制度は僧侶が贅沢三昧の生活をして、それを支えるために布施をしたり、時には高額の寄付を請求されたりして、高いお金を取られていると思っている事、そして僧侶が法を説かない事、尊敬できない事などの理由で檀家を離れたいと思っている人が続出しているのです。

離檀料のトラブル

寺院のトラブルのイラスト

引っ越しして遠方に住むことになったり、後継者がいないなどの理由で寺院の墓じまいをする時に、檀家という扱いになっていれば、檀家を辞める必要があり、その時に支払うのが離檀料です。

離檀料はそれぞれの寺院によって取り決めが違いますので、離檀料は不要と言う寺院もあれば100万円という寺院もあるのです。

そもそも離檀料とは、寺院の立場からすると、今まで檀家ということで日々のご先祖様の供養をし続けてきたと、自分の理由で檀家を辞めるのであれば、これまで供養し続けてきたお礼を出すべきということなのです。

しかし檀家の側からすれば、これまでに供養の度に御布施は出しているのだから、最後だからと言って出す必要はないという主張も出来るのです。

離檀料の相場は

離檀料の相場に決まりはありません、寺院によって違います。

足元を見て決める

離檀料なんて不要という寺院もあれば、数十万円から数百万円まで、とにかく決まりが無いので、こちらの足元を見てから決めるようなものです。

たとえば古くからのお付き合いで、供養の期間が長いですから、離檀料として300万円お願いします、と言われることも実際にあるのです。

また墓じまいで離檀する時には遺骨一体に付きいくらということもあります。

私が聞いた限りにおいての離檀料の最高額は500万円でした。

逆に離檀料は不要と言う寺院もありますので、この差は何なんだと思います。

不要もしくはお気持ちで

離檀料という名目自体が不当だと言われている中で、離檀料は不要もしくはお気持ちで結構ですというのはとても良心的だと思います。

私的ではありますが、お世話になったのであれば向こうから請求されなくとも「御礼」は出すべきだと思います。仏の世界は全て「気持ち」から成り立っているからです。

寺院に対してのお気持ちや御布施と言う本来の習慣が無くなりつつあるのは残念な事で御座います。

昔の年配の方は常にポチ袋を持っていてお礼の感謝の気持ちを形にして表していたのですが、最近ではそういう習慣を見なくなってしまいました。

寺院に相談に行く時の鉄則

寺院に相談に行く時には高級車に乗って行ってはいけません、お金がある人だと見られて、吹っ掛けられます。

腕時計や装身具、バッグや財布などは高級な物を持って行ってはいけません。

離檀料は支払う必要はあるか

納得いかないイラスト

本来「お礼」というものは、金額を言われてから差し出すものでなく、こちらから自主的に差し出すものであり、本来のお布施もしかりです。

一つだけ間違って欲しくないことは、お世話になったのですから、何かしらの「お礼」だけはいたしましょう。それが人としての礼儀というものです。

しかし、寺院の中にお墓がある場合などは、お寺さんが了解してくれないと墓じまいも出来ませんし、離檀も出来ません。お寺さんとのトラブルで一番多いのはお金の問題なのです。

「お寺の決まりですから」と言われてしまえばそれでおしまいですが、言われた通りにというのは納得いかないものです。

交渉するしかない

離檀料はここのお寺の決まりなのだから、と言われてしまえばおしまいです、しかし、決まっているのなら、ある程度の金額はあきらめてください。

離檀料の金額が妥当でしたら、気持ちよく払ってください。

離檀料の金額に納得出来なかったら、交渉だけはする必要がありますので、「お金が無い」ということで交渉してみてください。

本来寺院は生活に苦しい人を救済する立場ですが、苦しい人をますます苦しめるようなことをしている寺院も実際にあるのです。

しかし、絶対に諦めないことです。一人で交渉してもだうにもならない時には無料相談エンターご利用ください、

私も僧侶ではありますが、これまでいろんな交渉に行きました、最近、胃が痛いのは、こういうことが影響しているのかもしれませんが、但し、これ位の金額なら相場というものだと判断したら、それはそれではっきりとお伝えいたします。何もかもケチれば良いというものでもありません。

本来離檀料はあるべきものでない

個人的な意見ですが、本来離檀料なんてあるべきものでないと思っております。

お礼というものは、向こうから言われて出すものではないからです。

しかし、寺院が離檀料やお布施を請求する背景には、時々ですが、全く非常識な人がいるからだとも思います。

お布施はお気持ちでいいですよ、という僧侶の善意に対して、封筒に10円入っていたり、それも、高級車に乗って来てです。本当に生活に苦しい人でしたら、それで良いのですが…

いくらと決めたがる寺院の気持ちも分からないでもありません。しかし、それでも本来は僧侶というものは、見返りを期待しないというのが悟りの境地で、10円なら5秒のお経で、10万円なら1時間のお経なんてことをするから信頼されないのです。

そしてさらにひどいのは、目の前でお布施の袋を開けて確かめてから読経する僧侶です。お布施なんて自分がもらうものではなくて、本尊様に差し上げるもの、中身の多いか少ないかはご本尊様が決めるもの、ご本尊様にお仕えするのみで、自分は普通の生活が出来れば、それで良いのです。

寺院と交渉する時は

寺院との交渉

寺院と金額的な交渉をする時には、菓子折りと1万円程度で結構ですから「お供え」と書いたのし袋を持っていきましょう。こういう所で、向こうの応対が変わるものです。

そして交渉する時には決してこちらから離檀料はいくらですかなんて言ってはいけません、向こうが言わなければ、それで良いのです。

こちらが言う事は「他に何かありませんか」だけで良いのです。

お寺や供養などの相談は私が運営している…高野山真言宗やすらか庵

最後に一言

最近は寺院も運営に困っているという話をよく聞きますし、公務員の仕事の合間にお寺の仕事をしている方もおられます。

お寺というものは、誰もが頼れるやすらぎの場であり、大切なご先祖様を供養する場でもあるのです。

亡き人の供養を毎日続けてくれている所であればとても有難い事であり、亡き人の供養は生きている人達の幸せを実現するためなのですから、僧侶と言うものは自らの人生を捧げてでも人様の幸せを願うのが仕事であり、そういった真摯な僧侶を支援するのが檀家でもあるのですから、皆さんの出された布施が即ち功徳になるものです。

やむを得ない理由で離れるような時には、今までどうも有難うございました、と気持ちよく離れたいものです。

お寺さんと喧嘩別れしたという話はよく聞きますが、実は目に見えない神仏やご先祖様と繋がっていた場所ですから、少なくとも目に見えない方々にだけでもお礼を言いたいものです。

「立つ鳥跡を濁さず」