水子とは

水子

生まれる前に亡くなった、或いは幼くして亡くなった子供のことを水子と言います。

水は流れるものですから、生まれることなく流れてしまった子供が水子なのです。

子供は宝物

人間として、或いは動物的本能として子孫を残すことを繰り返した結果が今の私達に繋がっているのですから、種の保存と言う意味においても子供を大切にし、自分達が亡き後にも子孫の者に命のバトンを伝えているのです。

男と女が出会い夫婦になって子供が出来ることは自然な成り行きなのですが、いざ子供を授かってみますと本当に愛おしいと言いますか、可愛い、大切な御縁を授けて頂いたことに感謝の気持ちが湧いてきて、たとえ自分がどんな困難に直面しても子供だけは大切にしたいと思うのが親心(おやごごろ)なのです。

子供は宝物、授かった子供をきっかけに親も成長するのです。

水子になってしまった

親として子が生まれてくることは大きな楽しみであり、生まれてくる子供のためにと服やおもちゃ、ベビー用品などを準備していたにも関わらず亡くなってしまうことはとても辛いことです。

その瞬間に楽しみにしていた夢が全部崩れ去ってしまいます。

更には例えようのない苦しみが襲ってきます。

私が悪かったのだろうか、何もしてやることが出来なかった、生まれてきてほしかった…

などの感情が一気に押し寄せてくるのです。

水子は救われますか

水子と三途の川

水子の心は全く穢れの無い状態で、この世での罪は無いのですが、ただ一つ「親を悲しませた」罪のために三途の川を渡ることが出来ず、川原で罪滅ぼしのために石で五輪の塔を作り続けると言われています。

この五輪の塔は地獄から出てきた鬼が破壊してしまうので、それでも子供は泣きながら五輪の塔を作り続けるそうです。

悲しい話ですよね、しかし、ここでお地蔵様がかわいそうな子供達を助けてくれるので、お地蔵様に助けて欲しいと、子供を抱っこしたお地蔵様をお祀りするのです。

このような言い伝えが残るために、水子はしっかり供養しないとあの世に行けないからと、水子供養のお地蔵様をお祀りするお寺がたくさんあるのです。

水子供養について

水子供養

兄弟が10人ほどいたのが当たり前の古の時代には、どこの家にでも水子がいたものでした。

今の時代は子供が少ないので昔ほどではありませんが、それでも楽しみに待っていた子供が早くに亡くなってしまったりすると、とても悲しい思いをするものです。

水子とは言っても体は大自然から頂いたものに変わりなく、「生まれてこなかったけれど、それでもありがとう」と心の供養をすれば良いのです。

大自然から頂いた体は大自然に還してあげましょう。水子は散骨しても問題ありません。


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