土に還って花が咲く

魂は永遠の旅を続け、旅の途中でいろんな姿に宿るのです。
私達の体は、魂を入れる入れ物です。大地と同じ要素で出来ています
生まれる時に大地からお借りして、そして死んだ時に大地にお返しするのです

土葬の選択は可能か

お葬式が済んだら宗教の如何にかかわらず、火葬場に行くのが通例になりましたが、はたして土葬などの他の選択は可能なのでしょうか。今でも山間部や離島などの一部で土葬が行われてしますが、火葬場の距離が離れているなどの、やむを得ない場合に行われていますので
全体の割合からいうとほんのわずかです。現在の火葬という方法が定着したのは、葬送の歴史から見ると、つい最近のことです。昭和40年頃を境に埋葬法の改正で、土葬から火葬に切り替わっていったのですが、それ以前は土葬が一般的でした。人が亡くなると、お葬式の準備とともに、棺桶が入る大きさの穴を掘るのですから、大変なことだったのです。しかし、今の時代的に言えば、土に還るわけですから、衛生的な問題をのぞいては環境にやさしい方法とも言えますし、人の体は死んだら土に還るということが実感できる方法でした。仏式のお葬式にしても、葬儀が済むとすぐに埋葬するのですから、家にお骨があるということはありませんでした。

火葬の影響

やがて人口の増加と土地不足、衛生上の問題などで火葬に切り替わり、葬儀が済むと火葬場に行き、お骨を家に持ち帰るようになりました。お骨はもう腐敗する心配がないので、満中陰までは家に安置し、満中陰が済むとお墓に納骨するようになったのです。

お墓の形式も土葬から火葬になるにしたがって、変わっていきました。土葬の時には無かった骨壷を納めるための納骨室が設けられ、骨壷はそのまま納められるので、骨壷に守られた骨はもう土に還ることは無くなったのです。

骨壷も商品としての付加価値を付けるために、豪華なものが次々と登場し、骨がいつまでも残るように工夫をしていますので、死んで土に還るという感覚が薄れてきました。最近は土に還る骨壷も登場しましたが、人々の意識はなかなかすぐに変わらないものです。

魂の所在

お墓を修復したりする時には、お坊さんを呼んで、工事の前には「お魂抜き」を、そして工事が済んでからは、「入魂」するのが通例です。ところで、お坊さんには何をしてもらっているのでしょうか。お墓の石の魂を入れたり出したりしてもらっているのでしょうか。それとも骨壷に付いている死者の魂を、入れたり出したりしているのでしょうか。お坊さんに聞いてみても、たぶん答えはバラバラだと思います。というか、仏教の教えではちゃんと説明できないので、先祖供養の通例として答えられることと思います。ひょっとしたら子孫に「タタリ」がないようにと説明されるかもしれません。仏教の教えとしては骨壷や石に魂が付くことや、「タタリ」などははありえないのですが、なぜこのように矛盾にみちたことをやり続けているのでしょうか。

それはもともとは地域の司祭者が行っていた、土着の習慣としての儀礼をお坊さんがやっているからなのです。我が国には仏教以上に生活の中で知らないうちに根付いている道教や儒教の影響があります。例えば結婚式は大安にするとか、お葬式は友引にはしない、などは仏教の教えではありません。友引の日にお葬式をすると友達まで引っぱってくるなんて、単なる迷信であり、仏教の教えでは何の根拠も無いことなのですが、かたくなにそれを守り続けています。お坊さんは仏教を広めるのが本来の仕事ですが、今の時代、仏教を広めるだけでは生活が成り立ちません。そこで仏教という基本姿勢を崩さない程度に、昔から引き継いでいることを取り込んでいるのですが、それはそれなりに、ちゃんと自覚していて説明できれば、いいと思います。

お墓に散骨

土に還るという意味ではお墓は、石とコンクリートに固められ、本来の目的から遠ざかり
記念碑的なものに変わりつつあります。土葬の頃のお墓は遺体が土に還るにつれ、土が陥没してきて墓石が傾き、何回も修復したものですが、今はそのようなことはありません。お墓を作って土に還ろうと思ったら、納骨室の下を土にして骨壷から遺骨を出して納骨すればいいでしょう。お骨の姿そのままに撒くことができるのは、お墓だけです。他のご先祖様と骨が一緒に混ざってしまったら申し訳ないと思ったら、布袋に入れてから納骨してもいいでしょう。

山の散骨

陸上での散骨は節度をもって行う必要があります。必ずお骨は粉末化し、他人の土地でないことを確かめましょう。人の往来がない場所が理想的、山岳や山林のような場所で静かに行います。骨はカルシウムが主成分ですので、雨が降るたびに土に吸収され、大地に還っていきます。やすらか庵ではやすらかの森での散骨を行っていますのでご利用ください。